今日のテーマは、Ⅸ.教会生活「40.礼拝」です。礼拝とはどのような意味を持ち、私たちがささげるべき真の礼拝とはどのようなものでしょうか。
1.礼拝とは
1)安息日
七日目は全き休みのための安息日、聖なる会合の日である。レビ 23:3
安息日には、傷のない一歳の雄の子羊二匹と穀物のささげ物として油を混ぜた・・・安息日ごとの全焼のささげ物で、・・・。民数記 28:9,10
旧約時代は、形としては祭儀的な犠牲を献げる礼拝でしたが、天地創造の完成、出エジプトの恵み、人々の休息と関連していました。そのほか主の例祭(七週の祭り、仮庵の祭りなど)を通して礼拝していました。
2)初代教会
彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。 使徒2:42
新約時代はイエス様の贖いによって犠牲を献げる祭儀から解放されたので、イエス様の復活を記念した礼拝が行われていました。
2.真の礼拝とは
わたしが雄牛の肉を食べ 雄やぎの血を飲むだろうか。感謝のいけにえを神に献げよ。あなたの誓いをいと高き神に果たせ。 詩篇 50:13,14(詩篇 40:6~10、ミカ6:~8)
神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。 ヨハネ 4:24
あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ 12:1
旧・新約時代、どの時代であっても神様への礼拝の本質は変わっていません。神様が求めておられるのは、習慣的、形式的、義務的な礼拝ではなく、真心からの礼拝であり、自分自身をささげる礼拝です。
礼拝には次のような要素があります。
①賛美 ②祈り ③感謝 ④神様と兄弟姉妹に仕える ⑤交わり ⑥十字架の贖いと復活と再臨を告げ知らせる ⑦再臨を待ち望む ⑧みことば
3.主の家に集う習慣の喜び
愛と善行を促すために、互いに注意を払おうではありませんか。ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。 へブル 10:24,25(詩篇 122:1)
もちろん礼拝は習慣化、形式化、義務化してはいけませんが、兄弟姉妹とともに喜んで神様の御前に集い、神様を礼拝することが習慣化することはすばらしいことです。逆に、神様の御前に集まらないこと、自分の好みを優先することを習慣にしてしまうことは大変残念なことです。そうならないためには、互いに励まし合うことが必要です。