今日からアドベント(待降節)です。待降節は降誕節の始まる4週間前の期間を言います。アドベントとは「到来」という意味で、キリストの初臨と再臨の両方に使われます。世の救い主として来られたイエス様の来臨を待ち望むとともに、すべての審判者として再臨されるイエス様を待望する時です。私たちは今何を待ち望むべきでしょうか。
1.初臨のイエス様
その日、人は言う。「見よ。この方こそ、待ち望んでいた私たちの神。私たちを救ってくださる。この方こそ、私たちが待ち望んでいた主。その御救いを楽しみ喜ぼう」イザヤ 25:9(42:1~4)
旧約聖書で原福音(創世記3:15)、アブラハムとの契約(創世記12:2,17:4~8,18:18,)、ダビデの子孫(イザヤ9:6,7、エゼキエル34:23,24,37:24)として約束された救い主(メシヤ)が示され、すべての人たちが救い主を待ち望んでいました。(マタイ1:1,9:27,12:23,21:9,ローマ1:3)
エルサレムにシメオンという人がいた。・・・そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。ルカ 2:25,26
2.再臨のイエス様
しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待ち望んでいます。・・・御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。ピリピ 3:20,21
もうひとつの待降はイエス様の再臨です。世界中で戦争、暴力、弾圧、秩序の崩壊、偶像崇拝、金銭欲、快楽主義、食糧不足、異常気象、自然災害、疫病の蔓延などの不安が広がっており、終末が近いのではと言われています。しかし、イエス様の再臨、世の終わりは誰にも分かりません。再臨のイエス様は私たちクリスチャンを引き上げ、すべての者を裁かれます。私たちはイエス様の救いを宣べ伝え、証ししつつ再臨を待ち続けます。
祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。テトス 2:13
3.私たちが待ち望むべきもの
これこそ悩みのときの私の慰め。まことに あなたのみことばは私を生かします。詩篇 119:50
私たちが待ち望むべきものは、自分の利益や自分だけの計画でなく、神様が喜ばれるみこころと神様の利益と兄弟姉妹の利益がなることです。これら待ち望むべきものはすべて聖書に記されていますので、みことばに親しんで待ち望む者としての正しい姿勢を教えていただきましょう。みことばによらなければみこころを知ることも行うこともできませんし、悩みのときに私たちを生かすのはみことばです。
みな自分自身のことを求めていて、イエス・キリストのことを求めてはいません。ピリピ 2:21