今日は福音書の奇跡1「カナの結婚式」です。イエス様は母マリアが接待役を務めていた婚礼に弟子たちとともに招待されました。イエス様はここで水をぶどう酒に変える奇跡を行って、ご自身のメシア的栄光と救いのすばらしさを示す「しるし・証し」とされました。
1.母と給仕する人
イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。ヨハネ 2:4
イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。ヨハネ 2:7,8
母マリアはぶどう酒がなくなり困り果ててイエス様に相談しましたが、イエス様の答えは、少し冷たいように思えます。しかし、イエス様は罪に対して無力になっている人々を救うために、ご自身が流される尊い血(ぶどう酒)を思い、「大丈夫です。」との意味を込めて答えられました。マリアと給仕の人たちは、イエス様を信頼して従い、結果としてイエス様のメシアとしての栄光を見ました。
2.証拠としての奇跡
イエスはこれを最初のしるし(証拠としての奇跡)としてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。ヨハネ 2:11
イエス様は、ユダヤ人のきよめのしきたりの6つ(不完全数)の水がめの水を最良のぶどう酒に変えました。ユダヤ教の律法主義によっては人の罪をきよめることができず、ただ、イエス様が十字架で流される罪のない「血」(ぶどう酒)がすべての人をきよめ、新しい霊的ないのちと力を与えてくださることを意味しています。この奇跡によって、弟子たちはイエス様を信じました(ヨハネ 2:11)。
3.婚礼とぶどう酒
人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『見ろ、大食いの大酒飲み取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。しかし、知恵が正しいことはその行いが証明します。」 マタイ 11:19
これらの定めは、人間の好き勝手な礼拝、自己卑下、肉体の苦行のゆえに知恵のあることのように見えますが、何の価値もなく、肉を満足させるだけです。コロサイ 2:23
御霊が明らかに言われるように、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。・・・彼らは結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。Ⅰテモテ 4:1~5
イエス様が婚礼で水をぶどう酒に変えた出来事は、神様が結婚をすばらしいものとして祝福し、ぶどう酒が人生を楽しませること(詩篇 104:15、伝道者 10:19)を示しています。私たちは肉的思いから律法的に規則を作ってそれを守れば救われると思いがちですが、何の価値もありません。