今日は新約聖書の教え10「宮での教え」です。イエス様はご自分を信じた(表面的、一時的)と言うユダヤ人たちに「真理はあなたがたを自由にします。」、皆が罪の奴隷であるが、そこから真理(イエス様)によって自由を得ることができると教えられました。
1.ユダヤ人たちのまちがい
あなたたちは自分の父の行ないをしている。」彼らは言った、「私たちは私生児ではない〈淫行によって生まれたのではない〉。私たちにはただ一人の父、すなわち神がおられる」。イエスは言われた、「もし神があなたたちの父であるならば、あなたたちは私を愛する〈敬う〈喜んで迎える〉はずである。ヨハネ 8:41,42(詳訳)
ユダヤ人たちは、自分たちはアブラハムの子孫であって汚れた者ではなく、今まで誰の奴隷にもなったことはないと反発しました。彼らは心からイエス様を救い主として信じて従っていたわけではなく、イエス様を信じる信仰よりも自分たちの血統を誇りとしていました。ですからイエス様のみことばに従うのではなく、自分たちの考えと合わないイエス様を殺そうとしました。
2.イエス様を信じて自由を得る
そこでイエスはすでに彼を信じたユダヤ人たちに言われた、「あなたたちが私のことばにとどまるならば〈私の教えを堅く保つ《教えに従って生きる》ならば〉、あなたたちは真に私の弟子である。ヨハネ 8:31(詳訳)
イエス様ご自身が真理であり(ヨハネ 14:6)、真理を話されました(
ヨハネ 8:40,45,46)。イエス様のことばにとどまり、みことばに従って生きる者はイエス様の弟子となり、自由を得ることができます。また、真理の御霊である聖霊様が私たちを真理に導き入れてくださいます。
しかし、そのかた、すなわち真理のみ霊〈真理を授けるみ霊〉が来られるとき、あなたたちを導いてすべての真理を〈真理全体を残るところなく〉知らせてくださる。ヨハネ 16:13(詳訳)
3.不自由からの解放
イエスは答えられた。「真実を最も真実にあなたたちに告げる。罪を犯す〈習慣的に行なう〉者はだれもみな罪の奴隷である。・・・それゆえ、もし子があなたたちを解放する〈自由人とする〉ならば、あなたたちはほんとうに〈疑いもなく〉自由なのである。ヨハネ 8:34~36(詳訳)
私たちは他人に干渉されずにすべてのことを自分の思い通り(自分勝手)にやることが自由だと思いがちです。しかし、自分の罪の性質に従って自己中心的に事を行うのであれば、それは罪に支配され、罪の奴隷となった不自由な状態です。罪に支配されず、イエス様に支配されることが真の自由です。古い人を脱ぎ、新しい人を着ましょう(エペソ 4:22~24)。
私たちの古い〈新しくされていない〉自己は、〔彼と〕ともに十字架につけられ、その事は〔罪の道具である私たちの〕からだが、罪のためには無能〈不活動〉となって私たちがもはや罪の奴隷にならないためであるということを、私たちは知っているのです。ローマ 6:6(詳訳)