今日は新約聖書の教え11「祈りについての教え1」です。イエス様は弟子たちに「主の祈り」を教え、さらに私たちが祈りつつ「求め、探し、たたく」能動的で継続的な行動が祝福につながると教えてくださいました。
1.求め続けよ
そこで私はあなたたちに言う、求めよ〈求め続けよ〉。そうすれば与えられる。捜せ〈捜し続けよ〉。そうすれば見出す。たたけ〈たたき続けよ〉。そうすれば戸は開かれる。だれでもみな求める〈求め続ける〉者は受け、捜す〈捜し続ける〉者は見出し、たたく〈たたき続ける〉者には戸が開かれるからである。ルカ 11:9~10(詳訳)
イエス様は、私たちがご自身に信頼して求め続ける信仰と親密な関わりを期待しておられます。それは、ご自身があふれるばかりの祝福を与えようと待ち構えておられることを表しています。(エペソ 1:3)
2.三つのたとえ
イエス様は、熱心に求めることの大切さと神様は祈りに応えてくださる良いお方であることをたとえ話によって教えてくださいました。神様は求める者にご自身を現わしてくださり、救いと祝福を注いでくださいます。
①夜中に訪ねてきた友人(ルカ11:5~8)
この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。 ルカ 11:8
②子どもの求めに応じる父親(ルカ 11:11~13)
あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。ルカ 11:11
③人でなしの裁判官(ルカ 18:1~8)
このやもめは、うるさくて仕方がないから、彼女のために裁判をしてやることにしよう。そうでないと、ひっきりなしにやって来て、私は疲れ果ててしまう。」』ルカ 18:5
それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。使徒 17:27
3.戸をたたくイエス様
見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。黙示録 3:20
イエス様は、私たちに熱心にご自身を求めるように命じておられますが、ご自分もまたへりくだられて、私たちの心の戸をいつもたたいて私たちを求め、共に親しく食事することを願っておられます。
あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。ヨハネ 14:14
わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。ヨハネ 16:23