「放蕩息子」(聖日礼拝メッセージ 2023/12/03)

 今日は新約聖書のたとえ2「放蕩息子のたとえ」です。イエス様は、話を聞くために集まった取税人たちや罪人たちと彼らを受け入れるご自身に文句を言いに来たパリサイ人たちや律法学者たちに対して、このたとえ話をされました。両者にとって救われるための大切な話でした。

1.放蕩息子
 弟のほうが父親に言った、『おとうさん、〔私が〕いただく財産の分け前を下さい』。父はその身代をふたり〈の間〉に分けた。それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部取りまとめて遠国に行き、そこで無謀な〈放蕩ざんまいの〉生活をして財産を浪費した。ルカ15:12,13(詳訳)

 イエス様は、取税人たちや罪人たちを念頭におき、律法や人の道から外れて罪を犯した人々に、罪を認めて悔い改めることの大切さを教えておられます。弟は苦境の中で自分の愚かさと罪深さを悟って悔い改めました。彼は立ち返るべきところを間違えなかったことが幸いしました。

 子は父に言った。『おとうさん、私は天に対して、またあなたの前に、罪を犯しました。もう、あなたの子と呼ばれる資格はありません〈あなたの子と認められる値うちがありません〉』。ルカ 15:21(詳訳)

2.生真面目な兄息子
 兄は父に答えた。『どうでしょう。私はずっと長年あなたに仕えて、一度もあなたの命令にそむいたことがありません。・・・けれども、このあなたの子が帰って来ると、汚れた女たちといっしょにあなたの身代を食いつぶした者なのに、あの〔麦で〕太らせた子牛をほふっておやりになるのです』。ルカ 15:29,30(詳訳)

 イエス様はパリサイ人たちや律法学者たちを念頭に置いておられました。生真面目な兄息子は、放蕩して身代を食いつぶした弟を軽蔑し、自分の兄弟とは認めませんでした。彼は父親の愛を誤解し、父親の心を全く理解せずに不満を持ち孤立していましたが、彼も弟と同様に愛されていました。

3.慈愛に満ちた父親
 ・・・ところが、彼がまだ遠く離れていた時、父は彼を見つけて、〔彼を〕哀れに〈いとおしく〉思い、走り寄って抱きかかえ、そして〈激しく〉接吻した。・・・この私の子が、死んでいたのに、生き返り、見えなくなっていたのに見つかったのだから』。ルカ 15:20~24(詳訳)

 父が言った、『子よ、あなたはいつも私といっしょにおり、私のものは全部あなたのものだ。』ルカ 15:31(詳訳)

 イエス様は、慈愛に満ちた父親を父なる神様に重ね合わせておられます。父親にとって兄も弟も無条件で愛する対象でしかありません。神様は、すべての人が悔い改めることを望んでおられます。

 ・・・神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐と寛容を軽んじているのですか。ローマ 2:4

 ・・・忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。Ⅱペテロ 3:9

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