「一番大切なもの」(聖日礼拝メッセージ 2024/02/11)

 今日は新約聖書の教え15「一番大切な戒め」です。この聖書個所は、聖書中で一番大切な戒めは何ですか?という問いの答えです。それは「神様を愛し、隣人を愛する」ということばに集約されます。

序:聖書の背景
 主イエス様は日曜日にエルサレムに入城され、民衆は「ホサナ!祝福あれ!」と歓喜にあふれて歓迎しました。 当時のユダヤ人は神様から与えられた戒めや律法を守ることで救われると考え、その戒めが614もあったと言われています。一人の律法学者がイエス様に旧約聖書の中で一番大切な教えは何かと尋ねました。イエス様は次のように答えられました。

 第一の戒め「聞け、イスラエルよ。・・・」マルコ12:29(申命記6:4,5)
 第二の戒め「隣人を自分自身のように・・・」マルコ12:31(レビ19:18)

1.あなたの隣人とは?
 主イエス様は「あなたの隣人は誰か?」を説明するために、「善きサマリヤ人」のたとえ(ルカ 10:25~37)をされ、あなたに「強盗に襲われた人の隣人になったのは誰なのか?あなたの隣人とは誰ですか?」と問うておられます。
 私たちは、見返りを期待できない人のために、傷の手当てをし、自ら費用を負担して介抱を頼んだサマリヤ人のように、見ず知らずの人にあわれみを示すことができるでしょうか。

2.自分を愛するとは?
 「自分を好きになること」と「自分を愛すること」とは意味が違います。私たちが本当に自分を愛することができるようになるためには、まず過去の自分(痛み、苦しみ、悲しみ、悪行、弱さなど)と和解する必要があります。自分の過去にふたをして隠すのではなく、そのままを受け止め、イエス様によって愛され、赦された自分に心を開くことです。現在は過去の積み重ねですから、過去の自分を受け入れることができなければ、現在の自分を受け入れることはできません。

3.神の愛と和解
 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。I ヨハネ4:10

 私たちは、さらけ出した自分をありのままに受け入れてくれる誰かを求めています。私たちは誰かに打ち明けたが、さげすまれ、批判され、忠告を受けて、話さなければよかったという経験をします。また、その反対に話してよかったという経験もします。ありのままを包み隠さず話して受け入れてくださるお方がイエス様です。本来、自分で解決しなければならなかった諸々の罪は、イエス様の十字架の死と復活によって清算されました。
 私たちは、主イエス様の十字架の愛と赦しを受け入れるならば、自分自身を赦し、人を赦し、愛ある者へと変えられていきます。

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。Ⅱコリント 5:17
                                  (藤島 昇 兄)

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