「一番偉い者」(聖日礼拝メッセージ 2024/02/18)

 今日は新約聖書の教え15「律法学者とパリサイ人への警告」です。イエス様は、律法学者とパリサイ人の偽善的な信仰生活、生き方への非難を通して、群衆と弟子たちを正しい信仰と生き方に導こうとされました。

1.言行不一致になってはいけない
 なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。使徒 15:10

 律法学者とパリサイ人は、律法を学び、旧約聖書に通じていたので、モーセのようにそれを説き明かして民衆を教える立場にありました。しかし、彼らは聖書にないたくさんの規則を作り出し、人々に教えはするが、自分たちは守らず、人々に重荷を負わせるだけで助けはしませんでした。
 イエス様は群衆と弟子たちに、彼らが教えている聖書(みことば)には従い、言行不一致な彼らの偽善的な行いを真似ないように注意しました。

2.表向きだけの信仰を捨てなさい
 わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、内側は強欲と放縦で満ちている。目の見えないパリサイ人。まず、杯の内側をきよめよ。そうすれば外側もきよくなる。 マタイ 23:25,26

 イエス様は、人からの栄誉のみを求める律法学者たちの生き方を非難されました。彼らは、外見上の演出(外見を着飾り、厳かでうやうやしい雰囲気)や「先生」「父」と呼ばれる(自分に権威を持たせる)ことを好み、常に自分たちの信心深さを誇示し、人々の尊敬を集めることにだけ関心がありました。人に見せるだけの信仰でしかなく、信仰に生きてはいませんでした。彼らは人々の救いのために働くのではなく、人々の救いの妨げになっていました。(マタイ 23:13~36)
 私たちの「天の父」はお一人ですし、「師、先生」もイエス様だけです。クリスチャンは皆「兄弟姉妹」です。ただ、それぞれに立場や役割があります。(マタイ 23:8~10、エペソ 4:11)

3.仕える者が高くされる
 キリストイエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。・・・自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。ピリピ 2:5~11

 イエス様は「一番偉い者は皆に仕える者になりなさい」と言われ、彼らの生き方を非難されました。そして、そのことばのとおりにイエス様は創造主、天地の主であられながら、へりくだってこの地に下られ、人々に仕え十字架の死にまでも従ってくださいました。
 自分は「偉くもないし、偉くなりたくもない。リーダーでもないし、上に立ちたくもないので仕える必要はない。」と考えるならば、その考えこそが自己中心であり、自分を一番偉い者としていることになります。そのような者こそ仕えることを学ぶ必要があります。

 神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。詩篇 51:17(イザヤ 57:15)

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