今日は新約聖書の出来事15「最後の晩餐」です(マタイ26:17~29,マルコ14:12~25,ヨハネ13,14章)。イエス様は、十字架にかかられる前夜、用意した二階の大広間で過越の食事をされ、その中で主の晩餐(聖餐式)を行われました。最後の晩餐は、エジプトからの救出、過越の子羊なるイエス様と栄光のうちに再臨されるイエス様を表しています。
1.過越の晩餐
この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなけらばならない。出エジプト 12:14
出エジプト記において、モーセを通して告げられた神様のことばを信じ、子羊を屠ってその血を門柱とかもいに塗った家は、長子が殺されるという神様のさばきを免れました(出エジプト 12:1~36)。
過越の祭りはこの時に神様から命じられたもので、イスラエルにとって最も重要な祭りです。その祭りでは、パン種の入らないパン、ぶどう酒、苦菜、焼いた子羊の肉を食べ、エジプトからの解放の話しを聞き、賛美の歌(詩篇113~118篇)を歌って祝いました。
2.主の晩餐(聖餐式)
私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。Ⅰコリント 10:16
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。Ⅰコリント 11:26
イエス様は、過越の晩餐の後、新たに主の晩餐を行って、聖餐式を制定されました。動物の血ではなく、神様のひとり子・救い主イエス様のいのちがささげられることによって救いが完成し、罪の赦しが成就しました。
聖餐式は、過越の祭りと同様に、罪からの救い、死と悪魔からの解放を成し遂げてくださった神様と私たちのために十字架で命をささげ、三日目によみがえられたイエス様をほめたたえる式です。
3.イエス様の愛と勝利
イエスは彼らに言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました。」ルカ 22:15
イエス様はなぜ弟子たちと一緒に過越の食事をすることを切望していたのでしょうか。イエス様は、この食事ではユダに裏切られ、ほかの弟子たちにはこれから降りかかる受難を理解してもらえずに見捨てられ、最後は辱めの十字架と死があるだけでした。しかし、イエス様の尊い犠牲により、旧約聖書で約束されていた予表としての諸々の犠牲と儀式が完全な形で成就しました。イエス様が十字架の道に邁進されたのは、それが神様のみこころであり、私たちへの愛です。
キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。へブル 9:28(コロサイ 1:22、Ⅰペテロ 3:18)