自分を喜ばせなかったイエス様(礼拝メッセージ2011/08/21)

 私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。
 私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。
 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。」と書いてあるとおりです。
 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。
 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。
 こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。             ローマ 15: 1~7

 今は、自己中心の時代です。モンスターやクレーマーが横行し、日本人の恥の文化はどこかへ行ってしまったようです。
 聖書には「イエス様でさえ・・・」と書かれています。天地を造られ、すべてを所有し、すべての権威を持っておられる方ですからご自分の思い通りに事を行なって良かったはずです。そのような権利は十分にあったと思います。
 しかし、イエス様は自分自身の権利を主張せずに、私たちに対する非難をも自ら受け止めてくださったのです。私たちの罪・咎・弱さ・非難を引き受けて下さいました。

 あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。  詩篇 69: 9

 旧約聖書は、私たちを教えるために書かれました。それは、私たちが旧約聖書の「神様を愛し、神様に従った人々」の信仰と結末を見て忍耐を励ましを受けるためです。

 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。 私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。Ⅰコリント10:31~11:1

 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。         Ⅰコリント9:22,23

 パウロもイエス様にならって、自分の利益を求めずイエス様を知らない人々に仕える道を歩みました。
 
私たちは、自分だけの祝福や自分だけの満足、自分だけのビジョンを求めてはいないでしょうか。
 自分自身の喜びではなく、イエス様を喜ばせ、兄弟姉妹を喜ばせ、家族を喜ばせ、隣人を喜ばせる道に努めましょう。

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