クリスマスは、主イエス・キリストの誕生を喜び祝い、愛を分かち合う時です。クリスマスという言葉はラテン語の「クリスト(キリスト)」と「マス(礼拝)」の合成語で、「キリストの礼拝」を意味しています。私たちも、世界中の人々が祝うクリスマスの喜びを味わいたいと思います。
序.「あなたのおことばどおりに・・・」(ルカ 1:38)
マリアは常識では考えられない御使いのお告げに、信頼をもって立ち向かいました。彼女は、神様の呼びかけに答えて、恐れひるむことなく、怒ることもなく、みことばに従順に従いました。
マリアは「心に納めて、思いを巡らし」(ルカ 2:19)とありますが、これは、自分の心の中に忘れないようにしっかりと留めておく、じっくり考え、熟考すると言う意味です。聖書のことばを自分の生き方や生活にどのように適用すべきかを考えることです。
1.羊飼いの信仰:大きな喜びを知る
イエス様が誕生した時代のパレスティナでは、羊飼いは社会の最下層の人々として見下されていました。さらに文字すら読めなかったとも言われています。彼らは、大事な羊を置き去りにしてまでもイエス様を拝しに行きました。ベツレヘム(パンの意味)へ行くとは、まさに私たちが毎週、いのちのみことばを食するために、礼拝に出席するのと同じことを意味しています。
2.「ひとつのしるし」に隠された意味
羊飼いたちは、与えられた「みどりご」「布にくるまれ」「飼い葉おけ」の3つのしるしを手掛かりに主イエス様を探しに出ていきました。ふつうの赤ん坊、粗末なブランケット、家畜の臭い糞尿のある部屋です。もし、イエス様が高貴な家柄で立派なお屋敷で誕生されたのであれば、彼らが会うことは許されませんでした。主イエス様が身分を低くされた方だったので、誰もがお誕生を祝い、身近に触れて話すことができました。
3.「地には平和、みこころにかなう人々」にあるように
地上ではいつもどこかで戦争や争いがあり、人間の心には不安や悲しみがあります。主イエス様の誕生は地上に平和をもたらすことであり、人々の悲しみを笑顔に変えることです。「みこころにかなう」とは、宗教的・道徳的に正しい人ではなく、自分の罪、汚れ、弱さをよく自覚し、心から悲しんでいる人のことです。山上の垂訓の「心の貧しい人」(マタイ 5:3)と同じ意味です。
今も昔も人々は戦争がなく、政治的に安定し、経済も順調で、病気やけがのない生活を求めています。しかし、現実は違います。クリスチャンはもしそれらが欠けていたとしても、神様にある平安を持つ秘訣を心得ています。私たちが主イエス・キリストを救い主と信じて心に受け入れたときから、私たちの心に住まわれるインマヌエルの主がともにおられます。
(藤島昇兄)