今日は使徒の働き27「カイサリアでのパウロ」です。エルサレムで捕らえられたパウロは、ユダヤ人たちに命を狙われましたが、ローマ軍の千人隊長によって総督フェリクスのいるカイサリアに護送され、そこで拘留されたままAD58~60の2年間を過ごしました。パウロは総督の前で身の潔白を弁明し、福音を語りました。カイサリアはユダヤでのローマ帝国の首都で、20年ほど前にローマ軍の将校コルネリウスが救われた町です。
1.パウロの主張
彼らがむちで打とうとしてパウロの手足を広げたとき、パウロはそばに立っていた百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むちで打ってよいのですか。」使徒 22:25
もし私が悪いことをし、死に値する何かをしたのなら、私は死を免れようとは思いません。しかし、この人たちが訴えていることに何の根拠もないとすれば、だれも私を彼らに引き渡すことはできません。私はカエサルに上訴します。」 使徒 25:11
パウロは、ローマ市民権(投票権、鞭打ちの免除、皇帝への上訴権)を用いて不当な扱いに対抗し、自らの正当性を主張しました。また、ローマの代表者である総督にまで福音を伝え、これが当時世界最大の都市であったローマ宣教への足がかりとなりました。
2.パウロの伝道
数日後、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた。しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。使徒 24:24,25
フェリクスは、福音に対する興味本位と賄賂欲しさの貪欲から軟禁中のパウロをしばしば呼び出しましたが、パウロの信仰に対するあまりの熱心さと福音の厳格さ、神様の厳しさに圧倒されてしまいました。パウロは「もし自分に罪があるなら罰を免れようとは思わない。」と、すべてに誠実に向き合い、福音を水増しせず、取り除かずに真っすぐに伝えました。
3.神の前にも人の前にも
そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。使徒 24:16
パウロは、自分はクリスチャンを厳しく迫害した罪人のかしらであったが、神様のあわれみとイエス様の犠牲によって罪赦され、福音の宣教者として召されたことに対して、まさに命を懸けて、神様の前にも人々の前にも誠実にかつ忠実に歩みました。敵対するユダヤ人がどのように批判しようが、先祖の神様に仕え、律法を全うし、預言者を信じ、復活を信じ、イエス様に従う道こそが神様に喜ばれる道であると確信していました。
私たちの信仰の歩みはどうでしょうか。神様の前に、教会の前に、兄弟姉妹の前に、人々の前に、社会の前に、聖い良心に従い誠実に歩んでいるでしょうか。最善を目指して前進していきましょう。