今日は使徒の働き31「第4回伝道旅行」です。パウロはAD61年か62年に釈放され、伝承によればAD63年~67年に第4回伝道旅行でスペイン、ギリシア、小アジアに行きました。パウロはテモテに手紙を書き、牧会上の注意と教えと励ましを与えて、信仰の戦いを立派に戦い抜くよう命じています。
1.テモテ
その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。Ⅱテモテ 1:5
パウロはテモテに「信仰による、真のわが子テモテへ」と呼びかけています。テモテはパウロの伝道によって回心しました。テモテは、パウロの伝道旅行に同行し、パウロの手紙の共同の送り手にもなっています。エペソの教会は、パウロの伝道によって始まって非常に成長し、その地方の中心的な存在となっていました。その教会をテモテが牧会していました。
2.牧会上の問題点
ある人たちが違った教えを説いたり、果てしない作り話と系図に心を寄せたりしないように命じなさい。Ⅰテモテ 1:3,4(6:20,21)
ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。・・・彼らは結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。Ⅰテモテ 4:1~3
エペソの教会は、数千人の兄弟姉妹、数百人の指導者がいたと考えられます。教会内には、ユダヤ主義、偽教師、悪霊崇拝、禁欲主義、グノーシス主義(知識、霊知)、教会内の秩序の問題(女性の立場、やもめの扱い)、指導者の資格(監督、執事、長老)、社会での秩序(統治者、主人、奴隷)、拝金主義などの問題が山積していました。パウロはこれらを正し、健全な教えに導くよう命じています。
3.信仰の戦い
・・・信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜くためです。ある人たちは健全な良心を捨てて、信仰の破船にあいました。Ⅰテモテ 1:18,19
信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前ですばらしい告白をしました。Ⅰテモテ 6:12
パウロは迫害と信仰の戦いを経験し(Ⅱコリント 11:23~29)、最後は、ペテロと共にローマに連行されてAD67頃に処刑されました。その後クリスチャンは、皇帝を神とすることを拒否したため、皇帝ネロやドミティアヌス帝によって迫害され、さらにユダヤ人によって会堂から追放されました。現在もクリスチャンへの迫害は続いており、キリスト教迫害国ランキング上位5カ国は、北朝鮮、ソマリア、イエメン、リビア、スーダンです。
信仰の戦いには、迫害など外側に対して、教会内部の問題に対して、自分自身の罪や自我、不信仰に対しての戦いがあります。パウロは、イエス様やパウロ自身の信仰の歩みを模範として、テモテ自身が聖書の健全な教えに従い、皆にみことばに従うよう教え続けなさいと命じています。
満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。Ⅰテモテ6:6