今日のテーマは黙示録30「携挙」です。黙示録4:1では天の門が開かれてラッパが鳴り、ヨハネが天に引き上げられ、これから起こる様子が示されています。みことばは、私たちが失望したり悲しんだりしないよう、「携挙 rapture ラプチャー」の希望を教えています。
1.眠っている人たち
眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。Ⅰテサロニケ 4:13
一般的に人生は四苦八苦と言い、その中に死を迎える苦しみ、愛する者と別れる苦しみがあります。しかし、聖書では主にあって亡くなった者を眠っている人たちと表現し(マタイ27:52、ヨハネ11:11)、失望したり悲しんだりする必要はないと教えています。ローマのカタコンベ(地下墓所)の聖徒の墓碑銘には「眠った者」と記されており、復活の希望が表されています。
2.イエス様の教え
そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸を叩いて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。マタイ 24:30,31
イエス様は、主の日(終わりの日)に、ご自身が栄光のうちに天から下って来られ、信じる者たちが世界中から集められると教えられました。聖徒にとって、死は絶望ではなく一時的な眠り、復活への備えであることが分かります。イエス様が初臨でこの地に来てくださり、十字架で救いを完成してくださったのは、最終目標である携挙のためでした。
信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。へブル 11:5
3.イエス様と共にある希望
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主と共にいることになります。Ⅰテサロニケ 4:16,17
携挙は、その時に生きている者よりもすでに亡くなっている(眠っている)者たちが優先します。私たちは死んでいても、生きていても、この地上から引き上げられてイエス様と共にいる希望が与えられています。私たちは、携挙のことばによって励まし合うことができます。物質的なものや目に見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠に続きます。
私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、いったいだれでしょうか。あなたがたではありませんか。Ⅰテサロニケ 2:19
