正しい人は信仰によって生きる(礼拝メッセージ2012/03/18)

 ハバククは、BC587年にエルサレムが滅亡する直前の時代に活躍した預言者です。ハバククはまず、「ユダ王国の指導者たちが弱者を虐げ、悪が増大しているのになぜ裁かれないのか。」次に、「ユダ王国を裁くために、なぜ罪深いバビロンが用いられるのか。」と、疑問をぶつけます。しかし、神様はご自身の偉大さと正しさを示し、最終的にはすべてが公正に裁かれることを告げます。

 まことに、水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる。 ハバクク 2:14

 しかし主は、その聖なる宮におられる。全地よ。その御前に静まれ。 ハバクク 2:20

 ハバククは自分の不完全さと不遜な態度を反省し、神様の主権と公正な裁きを認め、主の真実な御業を待ち望む信仰へと導かれます。そして、ハバクク書の最後は、感謝と信頼と希望に満ちています。

 そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。  ハバクク 3:17,18

 見よ。心のまっすぐでない者は心高ぶる。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。ハバクク 2: 4

 イエス様は、私たちに一番大切なものを教えて下さいました。それは、私たちが完全な者になって完了することでも、期待した者になれないからと落ち込むことでもなく、神である主と隣人を愛し続けることです。信仰によって生き続けることです。

 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
 これがたいせつな第一の戒めです。
 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。マタイ 22:37~39

 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。 ピリピ 3:12

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