神によって、私たちは力ある働きをします。
神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。詩篇 60:12
私たちにどんな力があるでしょう。主の益となる働きができるでしょうか。主から与えられた役割、任されたものを正しく管理する働きを全うできるでしょうか。
ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。 ルカの福音書 8:37~39
ゲラサの墓に住む、悪霊に憑かれた人は裸で暴れ回り、家族はもとより地域の人々も困り果てていたようです。イエス様はそんな彼を哀れんで悪霊から解放して下さいました。
そんなイエス様を嫌って追い出そうとした地域の人々とは反対に、開放された男性はイエス様にお供したいと願いました。 しかし、イエス様は家族伝道と地域伝道を任されました。彼は、その命令に従順に従い、神様によって力ある働きをしました。私たちもイエス様に従順になるなら、イエス様の喜ばれる働きができます。弱い私たちこそ信仰によって力強く歩めます。
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。 Ⅰコリント 1:27
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 Ⅱコリント 12:10
試練さえも全てイエス様の祝福として、肯定的に捉えることができたら、何も恐れるものはありません。
苦難は、問題ではなく機会。苦難は訓練であり祝福。 玉漢欽 (主が私に与える)すべてのことについて、私は全ての人の前であたな(主)を弁護いたします。 エピクデトス