復活を前提とした生活(礼拝メッセージ2012/04/08)

 兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。
 もし、私が人間的な動機から、エペソで獣と戦ったのなら、何の益があるでしょう。もし、死者の復活がないのなら、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」ということになるのです。
 思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。
 目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです。 Ⅰコリント 15:31~34

 ユダヤ人は肉体の復活を信じ、ギリシャ人はたましいだけの復活を信じていた。アテネの人々がイエス様の復活を嘲笑したことが記されている(使徒の働き17:32)。(Ⅰコリント15:12)
 コリント教会の中には、クリスチャンなのにイエス様の復活もクリスチャンの復活も信じていない人がいて、罪と混乱が蔓延していました。
 パウロは、コリント教会の兄弟姉妹に対して、神様についての正しい知識とイエス様およびクリスチャンの復活についての正しい知識がないと、間違った空しい罪の生き方になると警告しています。肉体の復活があるということは、罪の裁きもあるということです。

 もし、「復活がない」と考えるなら
 ・福音宣教は実質のない空しいもの。
 ・クリスチャンは、神様に逆らう偽証する者。
 ・私たちの信仰は実質のない空しいもの。
 ・私たちは今もなお罪の中にいる。
 ・亡くなったクリスチャンは滅んでしまった。
 ・クリスチャンは世界一哀れな人。
 ・信仰を守るために戦い苦しむ者は愚か者。
 ・虚無的で快楽主義の生活をする。
 
 イエス様のよみがえりは、イエス様の救いの確かさを示し、イエス様がサタン・悪霊・罪・死に勝利したことを現しています。そして、イエス様を信じる私たちも、イエス様と同様に肉体をもって復活することを示しています。これが希望です。
 友だちが悪ければ、良い習慣が損なわれる(Ⅰコリント15:33)。とあるように、みことばを正しく信じていない人たちと交流が深ければ、正しい「復活の信仰」から容易に離れてしまって、罪の生活に戻ってしまいます。

 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。Ⅰコリント 15:58

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