神様の配慮(礼拝メッセージ2012/06/17)

 主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。
 
あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。           詩篇 127: 1,2 

 聖書は、自分自身の人生や生活の隅々に、神様の主権を認め神様が喜ばれるように生きなければ全てが無駄であると教えています。いくら努力をし、身を粉にして働いて収入を増やしても空しいものです。
 
私たちは何と、自己満足と自分中心の人生設計や生活を送りやすい者でしょうか。私たちは、神様から離れては何も出来ないのです。 

 実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。             伝道者の書 2:25 

 そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。            エペソ 4:17 

 だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。     ピリピ2:21 

 私たちは、自分自身の人生設計や日々の生活において、主であるイエス様を中心にすえていなければ、いくら自分で納得して楽しい人生だと思っても、全く空しく無意味な人生を送ってしまいます。イエス様は、私たちの必要を全てご存知であられ、全てに配慮して全てを備えてくださる方です。自分で得たと思っても、実は、イエス様の哀れみと恵みがあるのです。 

 むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」  ヤコブ 4:15 

 イエス様は、私たちのことを全てご存知で全ての必要を満たして下さいます。イエス様に信頼していきましょう。そして、自己中心な者は全て裁かれることを覚えておきましょう。

 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。
伝道者の書 12:13,14


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