次のような主のことばが私にあった。
「人の子よ。見よ。わたしは一打ちで、あなたの愛する者を取り去る。嘆くな。泣くな。涙を流すな。
声をたてずに悲しめ。死んだ者のために喪に服するな。頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはけ。口ひげをおおってはならない。人々からのパンを食べてはならない。」
その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻が死んだ。翌朝、私は命じられたとおりにした。
すると、民は私に尋ねた。「あなたがしていることは、私たちにとってどんな意味があるのか、説明してくれませんか。」 エゼキエル 24:15~19
主は、エゼキエルを通してエルサレムの罪とこれから降りかかる災いを告げます。なべで煮る肉、捨てられる肉、骨まで燃やされる肉、なべからさびを落とそうとする喩えを通してそのことを伝えます。もう一つは、エゼキエルの妻の急死と喪に服さないエゼキエルを通して示します。
エゼキエルはあなたがたのためのしるしとなり、彼がしたとおりを、あなたがたもするようになる。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。 エゼキエル 24:24
主はご自身をエルサレムの人々に知らせようとします。それは、すべてのことを行っている方、支配されている方が、神様であり、主であるからです。主に悔い改め、立ち返らない限り幸いはないことを知らせたいのです。
私たちは、イエス様を救い主として信じ、自分自身の「主」とすることを誓ってバプテスマを受け、クリスチャンにしていただきました。
それなのに、今でもイエス様から「わたしが神、主であることを知りなさい」と言われなければならないような状況に陥ってはいないでしょうか。いつの間にか箍(タガ)がはずれてしまい、イエス様を主として従うより、自分が主になってしまってサタンに服従しているところがないでしょうか。日々、聖霊様によってイエス様が主であることを教えていただきましょう。知って、信じて、行動(服従)しましょう。
神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。Ⅱペテロ1:2
(Ⅰヨハネ 5:20、エペソ 1:17、Ⅰコリント 2:12)