あなたがたとラオデキヤの人たちと、そのほか直接私の顔を見たことのない人たちのためにも、私がどんなに苦闘しているか、知ってほしいと思います。
それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。
このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導くことのないためです。 コロサイ 2: 1~4
パウロは、エペソに3年間滞在しましたが、コロサイ教会を訪れたことはありません。エパフラスから教会の状況を聞いていたと思われます。パウロは、獄中からの手紙によってコロサイ教会の兄弟姉妹を心配して励ましを与えます。
コロサイ教会には、聖書の真理に哲学や宗教の思想を導入する「混交主義」(シンクレティズム)の問題がありました。パウロは、自分自身の信仰の生き方を通して愛する兄弟姉妹を励まし、偽りの教えから守ろうとしました。彼の純粋な信仰の戦いが次のものを与えます。
①心に励ましを与える。
②愛によって結びつける。(イエス様、兄弟姉妹)
③豊かな全き確信を持つ。
④イエス様を知る。
⑤惑わされないようになる。
現代の教会にも、純粋な聖書信仰(みことばに従順に従う生き方、イエス様に仕え、兄弟姉妹にへりくだって仕える生き方、自分を犠牲にして隣人に愛を示す生き方、すべての人に福音を宣べ伝える生き方、権威に従う生き方)を否定しようとする、あらゆる思想や言い訳(自分には救いと信仰があるから権威に従わなくても、何をやってもOK)が蔓延しています。
このような偽りの教えに知らず知らずのうちに惑わされてしまうと、しだいに肉に従い、自己中心の信仰(らしきもの)に陥ってしまいます。
もしあなたがたが、キリストとともに死んで、この世の幼稚な教えから離れたのなら、どうして、まだこの世の生き方をしているかのように、・・・・・ コロサイ 2:20
イエス様に服従することにこそ正しい生き方があります。主の御心、聖霊様に満たされる道は、すでにみことばに明らかにされています。 (コロサイ 2:6,7,10,19,3:2)