「すべてをささげたハンナの祈り」(礼拝メッセージ2014/11/23)

ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです。」
エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」 彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように。」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。                 サムエル 1:15~18

サムエル記は、士師時代の終わりから、ダビデ王の最後の年に至るまで、約100年間(BC1075~975)の歴史です。ひとりの女性の祈りから、イスラエルに新しい時代が到来しました。
エルカナにはペニンナとハンナの二人の妻がありました。ペニンナには息子と娘がいましたが、ハンナは不妊の女でした。ペニンナは、ハンナを憎み、彼女に子がないことで侮辱的な態度をとっていました。特に、年に一度の主への礼拝の時に、ハンナは、つらい思いをしていました。しかし、それは、すべて主のご計画の内にありました。
ハンナは、ペニンナはもちろん、彼女の子供たち、やさしい夫エルカナ、さらに神様さえも恨みがましく思っていかもしれません。彼女は、自分に子供さえ与えられればと、子供を絶対化していたようです。しかしその後、ハンナは、生まれてくる子を自分のものとせず、神様にささげるとの祈りをした時に(1:11)、初めて心の解放を経験しました(1:18)。その告白に対して神様が働かれ(1:19)、男の子サムエルが与えられました。彼は、最後の士師、偉大な預言者となり、イスラエルを統治する王たちの到来を告げる重要な人物となりました。
すべては、人間の信仰深さ、熱心な祈り、願いの成就によるのではなく、主ご自身とみことばを受け入れて、すべてを明け渡すことによります。主権は主にあります。

順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。          伝道者の書 7:14

神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。  詩篇 51:17

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