「共におられるイエス様2」(礼拝メッセージ2015/04/19)

見よ、わたしは、世の終わりまで、
いつも、あなたがたとともにいます。
マタイの福音書 28:20

イエス様が私たちといつも共にいて下さるとの約束は、何という喜び、慰め、力でしょうか。信仰の戦い、罪との戦い、自我との戦いの中で、私たちを慰め、励まし、支えて下さるのは、主イエス様だけです。旧約・新約聖書それぞれから、イエス様が共にいて下さった二人、エリヤとパウロを見てみましょう。

①エリヤ
エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」・・・・火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。       Ⅰ列王 19:10~12

エリヤは、異教の預言者850人に対してたった一人で戦い、主によって勝利を得ましたが、アハブ王とイゼベル妃によって命を狙われて逃亡生活を余儀なくされました。そんな精根尽き果て、自己憐憫に沈んでいたエリヤに主は現れて下さいました。

②パウロ
ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。使徒18: 9,10

パウロのコリントでの宣教活動によって、多くの人々が福音を信じて救われました。しかし、それと同時にユダヤ人による激しい反発に遭いました。その時、イエス様は幻によって、一緒にいて下さることを証しして下さいました。

二人とも神様の働きのために命がけで戦っていました。そこには、神様の「救いと勝利」というすばらしい祝福と同時に「困難・迫害」がありました。しかし、その困難のただ中にイエス様が共にいて下さいました。それは、みことばによる約束として与えられました(Ⅱコリント12:9,10、ピリピ4:6,7)

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