こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 ヘブル 12: 1,2
みことばは、①すべて邪魔になるものを捨て、②からみつく罪をかなぐり捨て、③私たちの心をそらすものから目を背けて、信仰生活という競争を走り抜くるように命じています。
私たちは、私たちに信仰を与え、信仰を完成して下さる主イエス様から目を離さず、日々仰ぎ見る必要があります。
今日は、イエス様が父なる神様に感謝した場面を見て、私たちもどのような時に感謝すべきか考えましょう。
1)7つのパンによる四千人の給食
すると、イエスは群衆に、地面にすわるようにおっしゃった。それから、七つのパンを取り、感謝をささげてからそれを裂き、人々に配るように弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。 マルコ 8: 6
2)パンとぶどう酒(聖餐式)
そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。「これを取って、互いに分けて飲みなさい。 ルカ 22:17
それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。・・・行ないなさい。」ルカ 22:19
3)願い(神様が信じられる)が聞かれた時
「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。・・・・しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるよ
うになるために、こう申したのです。」 ヨハネ11:41,42
イエス様は、ただただ父なる神様のみこころが行われることを願い、そのように行動されました(ヨハネ4:34,5:30,6:38)。 イエス様は、四千人の群衆の食が満たされること、弟子たちと群衆がイエス様をメシヤだと知ること、弟子たちの信仰が養われること、父なる神様が救いを完成して下さること、人々が救われること等に感謝しました。