「弟子の舌」(礼拝メッセージ2016/09/25)

「・・・あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。・・・」マタイ28:18~20

私たちは、福音を伝えられて罪の赦し、永遠の刑罰からの救い、永遠の命をいただきました。もちろん福音宣教の目的はそのためですが、イエス様が第一に命じられたのは、人々を「お客さん」ではなく「弟子にする」ことでした。

神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。    イザヤ 50: 4

神様は私に、知恵のことばを授けました。疲れ切った人に何を言ったら良いかを教えるためです。朝ごとに、神様は私の目を覚まし、理解力を深め、みこころを示して下さいます。神様のおことばを、私は耳をすまして聞きます。逆らったり、そっぽを向いたりはしません。     イザヤ 50: 4,5(LB訳)

ここには、不信のイスラエルと対照的に主の御旨を遂行するしもべの姿が描かれています。主は弟子として召した者にことばと教えを与えて整え、実を結ばせて下さいます。

①弟子(教えを受けた者)の舌を与える。
②人々を励ます(支える、助ける)ことを教えて下さる。
③弟子として聞き従うようにして下さる。

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。 ヨハネ15:16

私たち自身には、何ら良きものも能力もないでしょう。しかし、父なる神様は求める者に喜んで弟子としての力を与えて下さいます(ヨハネ14:12)。
主に従うがゆえの苦難があっても、主は共にいて下さいます。

神である主は、私の耳を開かれた。私は逆らわず、・・・隠さなかった。しかし、神である主は、私を助ける。・・・私を義とする方が近くにおられる。・・・見よ。神である主が、私を助ける。だれが私を罪に定めるのか。  イザヤ 50: 5~9

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