「聖霊様の満たしと導き」(礼拝メッセージ2017/03/19)

クリスチャンは皆、いつも聖霊様に満たされ、導かれて生きられたらどんなに幸せだろうかと考えます。それは、愛と平安と喜びに満ちあふれた夢のような生活だと思うからです。
使徒パウロは、第3回伝道旅行の終りに、エペソ教会の長老たちを集めて、惜別の説教をしました。そこには、聖霊様に導かれたパウロの生き様が描かれています。

いま私は、心を(別訳:聖霊に)縛られて、エルサレムに上る途中です。・・・・ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。・・・・私のいのちは少しも惜しいとは思いません。   使徒20:22~24

1.行くべき道を示される聖霊様
パウロは伝道旅行において、幾度となく聖霊様によって行こうとした道を閉ざされて変更を余儀なくされました(使徒16:6,7)。兄弟姉妹がエルサレムへ上るのは危険だからと、一生懸命に引き留めますが、パウロは進んでいきました。(使徒21:4,5)

2.悔い改めと信仰を示される聖霊様
パウロは聖霊様に導かれて、ユダヤ主義者や異教徒の激しい攻撃に遭いながらも全ての人に福音を宣べ伝え、兄弟姉妹の益になる信仰の勧めをしてきました。また、ニセ教師やニセ預言者が偽りの教えや預言によって、クリスチャンを惑わして主イエス様や教会から離そうとするたくらみに注意するよう教えています。(使徒20:18~21、29~31)

3.使命に生きる道を歩ませる聖霊様
パウロは、聖霊様に導かれて神様の使命に生きる道を邁進してきました。兄弟姉妹には負担をかけずに、かえって仕え、与え、弱い者を助けてきました。神様から与えられた任務のために命を献げても良いと考えていました。(使徒20:24,21:13)

後に、エペソ教会は黙示録2:2,3において、労苦と忍耐、偽りの教えに対する厳格な対応がほめられています。
聖霊様に満たされ、導かれる道とは、神様が私たちを完全に
自動操縦して、何もかもが楽しく、楽チンで、笑いと喜びに満ちあふれた道と言う訳ではありません。神様が幸いであると言われる「与える」ことを、自分自身の幸いとすることです。「与える」とは、自分自身の体・思い・利益・評価を生きた供え物として、神様に献げることです。聖霊様に満たされ、導かれる道は、イエス様と共に歩む幸いな道です。

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