教会堂の中心に十字架があり、礼拝の中心には聖餐があります。聖餐は、この目をもってパンとぶどう酒を見るように、私たちの罪のために十字架の上で死なれた贖い主を信仰の目をもって見るためです。信仰がないと、ただの食べ物としてのパンとぶどう酒になってしまいます。
1.聖餐と過ぎ越しの祭りとの関係
イスラエル人たちは奴隷の身分からの解放という歴史的事実を記憶し続けるために、わざわざ種を入れないパンを作って食べる祭りを毎年繰り返しました。
主は、その過ぎ越しの食事の場を選んで聖餐を制定され、聖餐に過ぎ越しと同じ意義があることを伝えられたと考えられます。小羊の血がイスラエルを救ったように、神の小羊・主イエス様の血は、信じるすべての罪人を救うことになりました。
2. 「主の食卓(The Lord’s Table)」と「主の晩餐(The Lord’s Supper)」の関係
名称 | 主の食卓(Iコリ10:21) | 主の晩餐(Iコリ11:20) |
範囲 | 聖書全体 | 新約聖書のみ |
主題 | 交わり‐祝宴 | 記念と死の告知-厳粛 |
時間 | 永遠のもの | 一時的なもの |
備え | 主が用意された | 信者が用意する |
記述 | 「杯」が前、「パン」は後 | 「パン」が前、「杯」は後 |
パン | キリストの体なる | 教会 贖い主のからだ |
意味 | キリストのからだにあずかる | 主を覚えて、死を告知する |
3.聖餐の意味
①1つの教会に属する意味
②赦しの意味
③宣教としての意味
④終末としての意味
・我々はなぜ聖餐式を行うのか?
それは主イエス様が十字架につく前夜の最後の晩餐の席で、そうしなさいと、弟子達に言われたからです。「主イエスは引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげ、それを裂き、『これはあなたがたのためのわたしの体です。わたしを覚えて、これを行いなさい。』といわれた」(Ⅰコリント11:23~26)とあります。
・聖餐式はなぜ必要か?
私たちが、主の十字架を目に見えるしるしとし、パンとぶどう酒に与ることによって、キリストの十字架に与ることが大切です。つまり、聖餐式は私たちの信仰が、観念的なものに陥らないために必要です。
4.まとめ‐キーワード
主の十字架による贖いに感謝をささげ、信仰者の交わりを確認し、主の苦しみを記念し、主の十字架が私たちのための犠牲であったことを確認し、主の臨在を再確認します。
主の愛と恵みに対する深い感謝と祈りをもって、聖餐式に臨ませていただきましょう。同じパンを食べ、同じぶどう酒を飲むことによって、私たち信仰者は主イエス様の犠牲によって救われ、神の家族の一員とされていることを再確認します。聖餐式に与ることは、信仰者の義務であり、幸いな特権です。
(藤島 昇)