しかし、以前、非常に価値があると思っていたこれらのものを、今ではことごとく捨ててしまいました。それは、ただキリスト様だけに信頼し、キリスト様だけに望みをかけるためです。そうです。主であるキリスト・イエスを知っているという、途方もなくすばらしい特権と比べれば、ほかのものはみな、色あせて見えるのです。私は、キリスト様以外のものは、がらくた同然にみなし、全部捨ててしまいました。それは、キリスト様を自分のものとするためであり、また、もはや、良い人間になろうとか、おきてに従って救われようとか考えるのはやめて、ただキリスト様を信じることによって救われ、キリスト様と結ばれるためです。・・・ピリピ3:7~9(リビングバイブル訳)
けれども、私は、自分に益を与えるものであったような以前持っていたもののすべてを、キリストのために、私にとっては〈一括して〉損失であると考えるようになりました。それどころか、私は、私の主キリスト・イエスを知る〈だんだんとさらに深く、さらに親しく彼を知るようになる〈さらに十分に、さらに明白に彼を知り、認識し、理解する〉という貴重な特権〈圧倒的な価値、絶大な値うち、至上の利益〉を得た〔ため〕、それに比べて、すべてのものを損失と考えるようになったのです。この〔かた〕のために、私はすべてのものを失いましたが、それらすべてをただの廃物〈くず、かす〉と考えています。それは、私がキリスト〈油注がれたかた〉を獲得する〈得る〉者になるためであり、 ピリピ人への手紙3:7,8(詳訳)
パウロはダマスコ途上でのイエス様との出会いによって(使徒9:1~22、22:3~16、26:4~18)、今までの価値観が180度変わりました。パウロがかつて、価値がある大切なもの、神様に認められるものとして誇りに思っていたものがありました。しかし、それがイエス様との出会いによって、一瞬のうちに崩れ去りました。私たちもイエス様との出会いによって新しい真に価値あるものをいただきました。
1.パウロの7つの得(もうけをとる。利を得る。有利なこと。)
1)生まれながらの4つの誇り(ピリピ3:5、Ⅱコリント11:21~23)
①生粋のユダヤ人 ②契約の民 ③ベニヤミン族 ④生粋のヘブル人
2)自ら選び獲得した3つの誇り(ピリピ3:5、6)
①パリサイ人 ②教会を迫害した ③律法による義人(自己修練)
2.パウロの価値観の転換
パウロはユダヤ主義者たちと同様に、血統、民族、律法の遵守、割礼など、人間的なものを誇りとし、自分自身にプライドを持っていました。しかし、「私の主であるキリスト・イエスを知る」と告白しているように、「迫害者・殺人者パウロ」を愛して、身代りとなって下さったイエス・キリストを個人的な救い主、主人として受入れた時に、イエス様との人格的な結びつきを経験しました。そして、イエス様の偉大さ、その愛の深さに圧倒され、今まで燦然と輝いていたプライドとしていたものが、塵芥(ちりあくた)にしか見えませんでした。
3.私たちの価値観の転換
1)イエス様を知って得たもの
私たちは、家系、血統、家族、真面目さ、正しさ、成績、親切さ、信心深さ、優越さ、プライド等々、この世の価値観によって誇っていました。しかし、イエス様の救いを受け、イエス様を主としたことによって、イエス様を知り、イエス様に知られ、自己義ではなく信仰による義、「神様の国と義を第一とする(マタイ6:33)」ことのすばらしさを知りました。
2)塵芥(ちりあくた)を拾い集めてはいないか
しかし、一度捨てた塵芥をゴミ捨て場まで行って、もう一度拾い集めてはいないだろうか。そこに落ちているのは、プライド、自己義、優越感、劣等感、肉の思い、不信仰、自分の思い等々。イエス様をもっと知ろう。