今日は新約聖書の教え13「神の国の到来」です。神の国は現在到来している面と、将来到来する面があります。パリサイ人たちがイエス様に「神の国はいつ来るのか」と尋ねたとき、イエス様は「目に見える形で来るものではない。あなたがたのただ中にある」すでに到来していると教えられました。
1.間違った「神の国」認識
イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とかいえるようなものではありません。・・・ ルカ 17:20,21(17:23)
パリサイ人は、イエス様が来たのだから、国家規模の劇的な変化や強大な力、天からのしるしを求めていたのかもしれません。イエス様は、「神の国は近づいた」と福音を伝え、病のいやし、罪の赦し、悪霊からの解放を宣言しました。それは、「神の国=神様の支配」がすでに到来したことを意味しています。その後の初代教会でも間違った認識が見られました。
①主の日が近いと言って怠惰な生活をする者 Ⅱテサロニケ 3:6~13
②主の日がすでに来たと主張する者 Ⅱテサロニケ 2:2、Ⅱテモテ 2:18
③主の日はないとする者 Ⅱペテロ 3:3~13
④儀式や信仰心によって神の国を見ようとする者 ルカ 17:22
⑤霊的優位性を強調する偽預言者 ルカ 17:21,23
2.正しい「神の国」認識
見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」 ルカ 17:21
イエス様は、ご自身が来られたことですでに神の国は到来していると告げられました。ある特定の場所や特別な状況が神の国なのではなく、神様のご支配があるところが神の国です。
また、将来到来する神の国・主の日は、人の努力や熱心さによって呼び寄せるものではなく、神様の主権によるものです。私たちにとっては思いがけない時に突然やって来ます。私たちには知りえないことを「いついつだ。あそこだ。ここだ。」とあたかも自分だけが知っているかのように預言する者は偽預言者であり、傲慢の罪に陥っています。
3.神の国は私たちの中にある
イエス様が言われた「あなたがたのただ中にある」とは、私たちひとり一人の心の中に神の国があり、集まりとしての私たちの中にもあると言えます。イエス様を主と崇め、主権を認め、心を支配していただくことを喜びとする者は、神の国が内にあると言えます。また、私たちの集まりが、イエス様を中心とし、互いの間に愛があるならそこが神の国です(ヨハネ 13:35)。しかし、神の国には義のための苦しみも伴います。
私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。Ⅰコリント 15:50
あなたがたはあらゆる迫害と困難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。それは、あなたがたを神の国にふさわしいものと認める、神の正しいさばきがあることの証拠です。あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。Ⅱテサロニケ 1:4,5