さて、アハズヤはサマリヤにある彼の屋上の部屋の欄干から落ちて病気になった。彼は使者たちを遣わし、「行って、エクロンの神、バアル・ゼブブに、私のこの病気が直るかどうか、伺いを立てなさい。」と命じた。
そのころ、主の使いがティシュベ人エリヤに告げた。「さあ、上って行って、サマリヤの王の使者たちに会い、彼らに言え。『あなたがたがエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに行くのは、イスラエルに神がいないためか。
それゆえ、主はこう仰せられる。あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」それで、エリヤは出て行った。 Ⅱ列王記 1: 24
神様はなんとあわれみ深いお方でしょうか。アハブの子で偶像礼拝に浸り切っているアハズヤに預言者エリヤを遣わして、なんとか悔い改めに導いて王と民を救おうとされました。極悪王アハブと世界3大悪女イゼベルの子アハズヤ。父母に倣ってバアルを拝み、ヤロブアムの道に歩んで主の怒りを引き起こしたアハズヤにあわれみをかけられました。
人間的には、彼は病気になって死んでも当然。神様のあわれみをかけられる価値はないと思われてもしかたのない王です。
しかし、主なる神様は、そんな王も国民も救われてほしいと願っておられるあわれみ深い方なのです。
私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。
私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。 Ⅰテモテ 1:13~16
パウロは自分がどんなに大きなあわれみをいただいたかを証ししています。イエス様を信じ愛して従っていたクリスチャンを殺してしまった罪深き自分が救われたことを証ししています。
あなたはどれくらいのあわれみをいただいたでしょうか。
イエス様は、「よけいに赦された者がよけいに愛する。」と言われました。
イエス様によって罪赦され、大きなあわれみを受けたように、あなたも隣人にあわれみを示しましょう。
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」 ルカ 10:37