今日のテーマは黙示録23「審判(2)」です。黙示録では神様の最終的な審判が記されています。神様の審判は不従順な者を罰することと各個人の行為を判定することです。神様はご自身の公義を示されます。
1.不従順な者へのさばき
苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えることです。このことは、主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります。Ⅱテサロニケ 1:7~9
黙示録では、神様に反抗し、聖徒たちを迫害して死に追いやる大バビロンである政治的・宗教的勢力を神様が厳しくさばいて滅ぼされる様子が描かれています(黙示録 18:1~3,19:1~4)。神様は聖徒たちの叫びに応え、彼らに報復されます。
2.弁護してくださる方
私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。Ⅰヨハネ 2:1
自分はいまだにすばらしいクリスチャンに成長できていないから、審判の時は大丈夫だろうかと心配になることはありませんか。みことばは、私たちがさばきの座に立った時に、私たちのために十字架でさばきを受けてくださった史上最強の弁護士イエス様が弁護してくださると約束しています。ただし、この世とともにさばかれないように、罪を犯さないようにと、主から懲らしめをいただいていることも事実です(Ⅰコリント 11:32)。
3.キリストのさばきの座
私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれの肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。Ⅱコリント 5:10
私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって、人々の隠された事柄をさばかれるその日に行われるのです。ローマ 2:16
イエス様が十字架上で、私たちに対する神様のさばきを受けてくださいましたので、罪を悔い改めてイエス様を救い主として信じた私たちの罪は赦されており、私たちが再度罪の責めを負うことはありません。しかし、みことばでは私たちも神様のさばきの座に立ち、さばかれて報いを受けると記されています。タラント(マタイ25:14~30)とミナ(ルカ 19:12~27)とデナリ(マタイ 20:1~16)のたとえにあるように、私たちは神様から託されたものをきちんと管理できたかが問われます。
だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、藁で家を建てると、それぞれの働きは明らかになります。「その日」がそれを明るみに出すのです。その日は火とともに現れ、この火が、それぞれの働きがどのようなものかを試すからです。Ⅰコリント 3:12,13(Ⅰテサロニケ 2:19)