さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。
御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 ルカ 2: 8~11
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。 ヨハネ1:14
神様は、暗黒の世界に救いの輝き、イエス様の栄光を到来させなさいました。神様を認めず、サタン・悪霊・罪の手下となり、完全に支配され、自己中心に陥ってしまった私たちを救うために、ご自身の栄光を現して下さいました。
イエス様は、約2000年前、イスラエルのベツレヘムに誕生なさいましたが、一人ひとりが、救い主イエス様と向き合い、罪を悔い改めて「主」とするところから救いが始まります。
しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 Ⅱコリント3:16~18
私たちは、イエス様の栄光を反映させながら、少しづつイエス様の姿に似て行くことが出来ます。本当でしょうか。
それは、私たちがイエス様の方に向くことによって可能です。
しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。Ⅱペテロ 3:13~15
イエス様は、私たちへの懲らしめと試練を通して、自己中心の生活を離れてますますご自分を信頼させよう、信仰の道に歩ませようとしておられます。