ゼデキヤ王は、シェレムヤの子エフカルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤを預言者エレミヤのもとに遣わして言った。「どうか、私たちのために、私たちの神、主に、祈ってください。」 エレミヤ書 37: 3
ゼデキヤ王は人をやって彼を召し寄せた。王は自分の家でひそかに彼に尋ねて言った。「主から、みことばがあったか。」エレミヤは、「ありました」と言った。そして「あなたはバビロンの王の手に渡されます」と言った。 エレミヤ書 37: 17
そこで、ゼデキヤ王は、ひそかにエレミヤに誓って言った。「私たちのこのいのちを造られた主は生きておられる。私は決してあなたを殺さない。また、あなたのいのちをねらうあの人々の手に、あなたを渡すことも絶対にしない。」 エレミヤ 38:16
人は、神様のこと、周りの人のこと、自分のことが気になって、イエス様に従いきれずに中途半端になることがあります。 ゼデキヤ王は、エレミヤが告げる言葉を神様からのものと信じていました。ですからすごく気になっていました。
エレミヤが「カルデヤ人(バビロン)に投降すれば生きることができる。」と預言したので、首長たちはエレミヤを裏切り者とみなして投獄し、殺そうとします。ゼデキヤ王は、エレミヤを牢から助けて監視の庭で養います。
ゼデキヤ王は、神様の言葉を求め、預言者エレミヤを真の預言者と信じて守ろうとしました。しかし、その神様からのみことばを実行しようという、強い決意と実行する勇気と信仰に欠けていました。結果的に、エルサレムは焼かれ、こどもや主だった者は殺されました。ゼデキヤ王は両目をえぐられてバビロンへ連れて行かれました。
だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。 マタイ 6:24
また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。 マタイ 13:22
2012年は、みなさんにとってどんな年だったでしょうか。イエス様の恵みと哀れみによって守られたこの年を感謝しましょう。
「光陰矢のごとし」。年を追うごとに時間の経過が短く感じられます。2013年もイエス様の救いと恵みの年として、喜びと共に迎え、一年間過ごさせていただきましょう。