彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。
そこで、聖所のすべての仕事をしていた、知恵のある者はみな、それぞれ自分たちがしていた仕事から離れてやって来て、
モーセに告げて言った。「民は幾たびも、持って来ています。主がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です。」
それでモーセは命じて、宿営中にふれさせて言った。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように。」こうして、民は持って来ることをやめた。 出エジプト36: 3~6
主は、聖所のすべての仕事をすることのできる知恵と英知をベツァルエルとオホリアブに与えられました。彼らの高度な設計技術とデザインによって聖所のあらゆるものが作られました。
そのための材料は、すべて民が進んでささげた物でした。しかも、有り余るほどささげられたので、ささげるのをやめさせるおふれが必要なほどでした。
あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。
あなたの神、主が賜わった祝福に応じて、それぞれ自分のささげ物を持って出なければならない。 申命記 16:16,17
旧約時代は、主へのささげものは厳格に定まっていました。主の前に手ぶらで出てはなりませんでした。
私たちは、主に何をささげるのでしょうか。毎週の聖日礼拝で、感謝、礼拝、賛美、献金、自分自身、時間など、主が賜った祝福に応じてささげているでしょうか。感動も感謝もなく、集ってはいないでしょうか。
また、週日の主の集まりをささげているでしょうか。日々の生活において何を主にささげているでしょうか。喜びをもって感謝をささげ、自分自身を主にささげましょう。
また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。コロサイ1:12(ローマ12:1,2)