また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。だが今や、私たちののどは干からびてしまった。何もなくて、このマナを見るだけだ。」 民数記 11: 4~6
イスラエルの民は、エジプトでの奴隷状態の時に強制労働をさせられ、子どもを殺され、虐待を受けて、民族存亡の危機にありました。民が主に助けを叫び求めた時に、主はモーセを招集し、数々の奇跡をもって民を救出されました。
しかし、民は出エジプトから2年足らずで、主と指導者モーセに不平と不満をぶつけました。
マナは、コエンドロの種のようで、その色はブドラハのようであった。人々は歩き回って、それを集め、ひき臼でひくか、臼でついて、これをなべで煮て、パン菓子を作っていた。その味は、おいしいクリームの味のようであった。 民数記 11: 7,8
主は何もない荒野で、200万人以上の民を40年間、天から降る不思議なとてもおいしいマナで養われました(1日1人2.3ℓ)。 奴隷状態から開放され、主が共にいて下さり、日々あふれるばかりの恵みをいただいているにもかかわらず、自分自身の激しい欲望によって、主と指導者に対してつぶやきと不信仰と不服従が頭をもたげてきました。
主は火と疫病をもって応えられました(:1,33)。
私たちは、サタン・悪霊・罪に支配されていた時の悲惨さ、助けを求めた時の叫び、主イエス様の十字架の贖いと救い、主が伴って下さっている幸いと日々の恵み、聖霊様の慰めと助けなど、主が良くして下さったこと、良くして下さっていることを忘れてはいないでしょうか。
「エジプトに帰りたい。」という思いで、イエス様に服従する、兄姉に仕える、みことば、祈り、主の集まり、伝道、隣人に仕えることなど、ないがしろにしていないでしょうか。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 詩篇 103: 2(116:7)
(Ⅱペテロ2:20~22、ガラテヤ5:7~10、マタイ12:43~45)