「信仰の力と不信仰の力」(礼拝メッセージ2014/03/23)

彼らは探って来た地について、イスラエル人に悪く言いふらして言った。「私たちが行き巡って探った地は、その住民を食い尽くす地だ。私たちがそこで見た民はみな、背の高い者たちだ。     民数記13:32

 ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」       民数記14:9

 あなたは、信仰の力と不信仰の力、どちらが強いと思いますか?もちろん信仰の力ですよね。しかし、不信仰の力も負けず劣らず、なんと強いことでしょうか。もっともらしくて説得力があり、人の心を捉えやすい力を持っています。その力が結束すると、主と主のことばを侮り、積極的な信仰と信仰の行動とを否定し、正しい信仰の働きを攻撃して潰そうとします。
 主は、信じて従った信仰者に伴い恵みと力と励ましと祝福を与えます。そして、不信仰をそそのかした不信仰者は懲らしめ受け、その結果を刈り取ることになります。

 しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。そのとき、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現われた。主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行なったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。  民数記14:10,11

  今の時代にも同様のことが存在します。罪と肉によって束縛されている奴隷の身と御霊の実として自由の身に生まれた者、神様の約束を受け継ぐ者です。この両者が対立しています。
 私たち一人ひとりの心の中でもこの両者が葛藤しています。

 しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。ガラテヤ4:29

 すなわち、肉の子どもがそのまま神の子どもではなく、約束の子どもが子孫とみなされるのです。  ローマ 9: 8

 みことばを信じて実行する者、信じて従う者、不信仰者に惑わされなかった者が祝福を受けます。カレブは斥候として遣わされた40歳の時の信仰を45年間保ち続け、85歳になった時も心身ともに充実していて、主の祝福を受け続けました。(ヨシュア14:6~15)

タイトルとURLをコピーしました