「愛なる試練」(礼拝メッセージ2014/04/27)

あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。  申命記 8: 2~ 6

神様は雲に乗り、杖を持ち、ホンワカした表情のひげを生やしたお爺さんではありません。あなたを嫉妬するほどに心から愛する、厳しくもやさしい父親のようなお方です。
主は、試練と苦しみによって、私たちの本心を知ると同時に、私たちに自分自身の本当の姿を知らしめようとされました。
私たちは、主から与えられる試練によって、単に肉体的、心理的な満足だけではなく、霊的な生き方、信仰によってイエス様とともに生きることを教えられます。
主は試練を与えられますが、すべての必要を満たして想像以上の祝福を備えられます。

あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。申命記 8:12~14

人は、喉元過ぎれば熱さを忘れ、試練が過ぎれば、舌の根の乾かぬ内に自己中心的な生き方に移ってしまいます。
主は、私たちの心が高ぶらないように、厳しい警告を与えられます。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。 へブル 12:11

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