「不徹底な服従=罠」(礼拝メッセージ2014/09/14)

さて、主の使いがギルガルからボキムに上って来て言った。「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れて来て言った。『わたしはあなたがたとの契約を決して破らない。あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。それゆえわたしは言う。『わたしはあなたがたの前から彼らを追い出さない。彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとってわなとなる。』」  士師記 2: 1~3

イスラエルの指導者ヨシュアは、110歳で死に、葬られました。民はヨシュアと共にいた長老たちが生存していた時は、主に仕えていましたが、その後、主を捨ててカナンの神々バアルとアシュタロテ(男女の肥沃神)に仕えるようになりました。
民は、ヨシュアの惜別の説教の時に、主に従うことを約束したはずでしたが(ヨシュア24:16~18,21)、あっさりと心を翻してしまいました。そこに至るまでには、明確な原因がありました。民は、主の命令に反してカナン人を追い払わなかった(士師記1:28~33)のです。民の主に対する不徹底な服従が原因でした。
それでも主は、民に愛とあわれみを示され、試練を通して矯正し、さばきつかさ(霊的指導者)を起こして助け出そうとされました。しかし、民は頑迷な心を捨てず(士師記2:16~19)、その結果、「捕囚」という大きな代償を払うことになりました。

主イエス様は、私たちに「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして」徹底的に愛することを求めておられます(ルカ10:27)。ちょっとした些細な「まぁ、いいかなぁ」が、「蟻の穴から堤の崩れ」となります。

①捨てるべきものを捨てないとそれが罠となる。
(エペソ5:3~12、ヤコブ1:14~18)

②自分に都合の良いところだけ信じようとする自己中心的な
信仰は、いつか躓きとなる。(Ⅰペテロ2:7,8)

③主に従おうとしない人は、主が立てた指導者にも従わない。  (へブル13:17、Ⅰペテロ5:5)

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