ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ。それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置した。アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、それをもとの所に戻した。次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両腕は切り離されて敷居のところにあり、ダゴンの胴体だけが、そこに残っていた。 Ⅰサムエル 5: 1~4
ペリシテ人は、イスラエルとの戦いの戦利品として「神の箱」を奪い、自分たちの神ダゴンに捧げました。神の箱には神様からの十戒(みことば)が入っていました。神の箱を軽々しく扱ったペリシテ人に大いなる災い、恐慌、疫病が襲いかかりました。ペリシテ人は祭司や占い師の進言によって、神の箱を丁寧にイスラエルに送り返して災いから免れました。
神の箱は、イスラエルのベテ・シェメシュ人の所に送り返されました。彼らは喜び迎えましたが、不遜な扱いをしたために災いを招いてしまいました。(6:19,20)
その後、サムエルはイスラエルの全家を悔い改めへと導き、偶像を取り除いてペリシテ人との戦いにも勝利をもたらしました。ダビデ王が神の箱をダビデの町へ運び上った時にも、災いと祝福がありました。(Ⅱサムエル6章)
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。 へブル 4:12
今は、みことば、教会、兄弟姉妹、イエス様、神様から離れて自己満足の信仰に浸る時代、間違った教えを平気で受け入れる時代、自分に都合の良いことだけを信じる時代、イエス様や兄弟姉妹に仕えない時代、みことばを読まず、祈らず、伝道しない時代、共に集まらない時代になりました。
みことばは、厳粛で、生きていて、力があります。これを軽々しく扱うことはできません。(マタイ15:12~14、へブル2:1~3、Ⅰペテロ2:7,8)
みことばは、信じて受け入れ、服従する者に大いなる祝福を与えてくれます。(ルカ8:21,11:28、Ⅰテサロニケ2:13)