「主を退ける罪」(礼拝メッセージ2015/01/11)

サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとした。・・・・この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。そこでイスラエルの長老たちはみな集まり、ラマのサムエルのところに来て、彼に言った。「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」・・・・主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。 Ⅰサムエル 8: 1~8

サムエルは恩師のエリと同様に、息子たちの教育、信仰継承に失敗していました。世襲によって士師の働きを継がせようとしましたが、息子たちは利得の道に走ってしまいました。
イスラエルの長老たちは、これらのことを口実に、周辺諸国と同様に王が治める国家を求めました。彼らの要求は、サムエルの息子たちを責めながらも、神様である主の支配を嫌がり、人間である王を頼り、偶像礼拝への余地を残した不信仰から出ていたものでした。
サムエルは主からのことばとして、王制によって徴兵、徴用、年貢が強制されて国民が奴隷となることを警告しました(8:10~18)。しかし、彼らは心を頑なにして、あくまでも神様である主よりも王(人)に期待する道を要求し続けました。(8:19,20)
人は、些細な「得をしたい」「主に従うことより自分の思い通りにやりたい」という、ちょっとした心の動きから頑なな心になり、信仰の破船へと転がって行きます。みことばは、私たちに歩むべき道を示しています。

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。Ⅰテモテ 6:10(へブル13:5~9、Ⅰヨハネ2:15,16)

私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。ピリピ 3:16(へブル6:4~12)

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