「いけにえと服従 どっちが大事?」(礼拝メッセージ2015/02/01)

①今にもペリシテ人がギルガルの私のところに下って来ようとしているのに、私は、まだ主に嘆願していないと考え、思い切って全焼のいけにえをささげたのです。」サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。Ⅰサムエル 13:12,13

②そのとき、民のひとりが告げて言った。「あなたの父上は、民に堅く誓わせて、きょう、食物を食べる者はのろわれる、とおっしゃいました。それで民は疲れているのです。」・・・・・もっと多くのペリシテ人を打ち殺していたであろうに。」                   Ⅰサムエル 14:28~30

③サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。民は羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。あなたの神、主に、いけにえをささげるためです。そのほかの物は聖絶しました。」  Ⅰサムエル 15:15
あなたはなぜ、主の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、主の目の前に悪を行なったのですか。」Ⅰサムエル 15:19

サウルは神様から選ばれたイスラエルの最初の王でした。しかし、神様のために良かれと思ってしたことが、ことごとく神様の御心を損なってしまいました。

①祭司しかささげてはならないいけにえを勝手にささげた。
②根拠のない無謀な決まりで民を苦しめた。
③聖絶の物を取り置いた。

するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」Ⅰサムエル 15:22,23

私たちの信仰生活の中でも、主のために、隣人のために、自分のためになっているはずと考えて、主の御心を損なっていることはないでしょうか。(主の喜ばれること-マルコ12:33、ミカ6:6~8、偶像礼拝-エペソ5:5、コロサイ3:5)

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