「主は何を見ておられるのか」(礼拝メッセージ2015/02/15)

彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ。」と思った。しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」   Ⅰサムエル 16:6,7

主は仰せられた。「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ。」サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真中で彼に油をそそいだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰った。Ⅰサムエル 16:12,13

サウル王は不信仰と不服従が原因で、主によって王の地位から退けられてしまいました。サムエルは主によって新しい王を任命するためにベツレヘム人エッサイの所へ遣わされました。主は、エッサイの末の子ダビデを新しい王に選ばれました。
人はどうしてもうわべ(容貌、地位、経歴、家系、経済状況、特技など)を見てその人を評価します。しかし、主は心を見られます。では、主が見られる心とはどういうものでしょうか。

ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。主があなたとともにおられるように。」 Ⅰサムエル 17:37

少年ダビデは、純粋な主に対する信仰を持っていました。その信仰は実生活上の経験に裏打ちされたものでした。主は、ダビデを主の心にかなった者、主のみこころを行う者として認めていました。
ダビデはみことばによって、信仰義認(ローマ 4:6~8、詩篇32:1,2)、服従の大切さ(へブル 4:7、詩篇95:7,8)を語っています。・・・・そんなダビデにも姦淫と殺人という大きな失敗がありました。

それから、彼を退けて、ダビデを立てて王とされましたが、このダビデについてあかしして、こう言われました。『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する。』神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。      使徒13:22,23

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