ダビデの賛歌
主よ。私の祈りを聞き、私の願いに耳を傾けてください。あなたの真実と義によって、私に答えてください。
あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれひとり、あなたの前に義と認められないからです。
敵は私のたましいを追いつめ、私のいのちを地に打ち砕き、長く死んでいる者のように、私を暗い所に住まわせたからです。 それゆえ、私の霊は私のうちで衰え果て、私の心は私のうちでこわばりました。
私は昔の日々を思い出し、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています。
あなたに向かって、私は手を差し伸べ、私のたましいは、かわききった地のように、あなたを慕います。セラ 詩篇143:1~ 6
ダビデは、敵によって追い詰められて心身ともに恐怖と絶望で打ちひしがれていました。
彼は窮地に陥り、主に対して心から絞り出すようにあわれみと助けと救いを求めました。
①神様の義と人間の罪を認める。(2節)
②自分の弱さと現状を訴えた。(3,4節)
その後、彼は主に目を向けました。
③主が施して下さった恵みに思いを巡らしました。(5,6節)
④自らが行くべき道を問うている。(8節)
⑤どのように主のみこころを行ったら良いか問う。(10節)
ダビデに降りかかる敵の攻撃や試練が、彼をますます主を求める道に導いていることがわかります。たくさんある選択肢がひとつひとつ閉ざされて、主に向かう道、主に信頼する道だけが残されて行きます。
律法は、神様の義と人間の罪深さを教えてくれます。自分の義によって生きるのではなく、主に対する信仰と主が施して下さる恵みと主の揺るぎない約束によって生きる道こそ最善の道です。その道へ導いてくれるのが、試練であり自分を見つめ直す出来事です。
こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。 ガラテヤ 3:24