「主に目を向けよ」(メッセージ2015/09/20)

都上りの歌
あなたに向かって、私は目を上げます。天の御座に着いておられる方よ。
ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれまれるまで。 私たちをあわれんでください。主よ。私たちをあわれんでください。私たちはさげすみで、もういっぱいです。
私たちのたましいは、安逸をむさぼる者たちのあざけりと、高ぶる者たちのさげすみとで、もういっぱいです。
詩篇 123: 1~4

主を愛する主のしもべは、主を侮り高慢になっている者たちからのことばの暴力(悪口、偽り、醜聞、中傷、偽善)によって、精神的に追い詰められ、心が弱り苦しんでいる。
彼らは、行動による暴力で体を痛めつけるのではなく、たましいを痛めつけようとしている。主のしもべの価値をおとしめて、主に対する信仰や希望、喜び、平安などのすべての良きものを奪い取って、滅ぼすことを目的としている。
しかし、彼らのたくらみとは裏腹に、主を愛し、主を慕い、へりくだっている主のしもべは、苦しめられれば苦しめられるほど、ますます主を信頼して主にあわれみを求める。
主のしもべは、主がどのようなお方であるか、どんなすばらしいことをして下さったか、どんなにあわれみ深いお方であるのかをよくよく知っている。
サタンがクリスチャンを攻撃する目的は、クリスチャンの信仰を滅ぼすことです。クリスチャンが聖書のみことばを信じなくなって、みことばに反する悪口、偽り、中傷のことばや自分の悟りを信じて頼るようになることを目指しています。
私たちは、主のしもべとして、主の御手に目を向け続ける。
主の御手は、
①やさしく私たちを抱いて慰めと励ましを与えて下さる。
②悪口や偽りではない、真理のみことばを与えて下さる。
③みことばによって自分に対する正しい認識(救い、赦し、愛、祝福)を教えて下さる。
④私たちがなすべきことを教えて下さる。
⑤矯正すべきことを教えて下さる。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。 イザヤ 40:31

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