「父なる神様がほめたたえられるために」(礼拝メッセージ2016/02/07)

キリストは・・・・、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。・・・・それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。  ピリピ 2: 8~11

私たちは何を第一に優先させ、何を目標に生活しているでしょうか。自分自身の満足、喜び、思いのままに生きるためでしょうか。
私たちに対する主イエス様の模範となる生涯の究極は、「父なる神様がほめたたえられること」のために、自分を放棄する事でした。主イエス様は自分を低くし、ひたすらそのことだけを追求されました。

1)イエス様の食物
イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころ〈喜ばれる事〉を行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物〈栄養〉です。ヨハネ 4:34 (ヨハネ6:38、ルカ22:42)

2)私たちの存在理由を取り違えないように。
わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。 イザヤ 43: 7

3)私たちは、買い取られた聖霊の宮
あなたがたのからだは、・・・聖霊の宮であり、・・・もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。Ⅰコリント 6:19,20   (Ⅱコリント 5:15)

4)自分の十字架を負う生き方。
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。   マタイ16:24,25

主イエス様に倣う生き方とは、主イエス様と兄弟姉妹と隣人を愛して仕えることです。具体的には、礼拝(聖日礼拝、祈り、みことば、学び)、伝道、献金(タラントの管理)、奉仕(訓練)、交わりなどです。

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