「神様からの報い」(礼拝メッセージ2016/02/14)

私たちは、いろいろな報酬をもらうことができたら大変うれしいものです。しかし、イエス様は「人から賞賛を受けることは一時的で変わりやすく空しいものである。神様からいただく報酬、天に積まれる報いこそ永遠で変わることがなく価値のあるものだ。」と言われます。(人のほめ言葉は時として、社交辞令の場合もあり、自己満足、自画自賛、自己陶酔、自惚れ、高慢を招きやすいものです。)
神様からの報いを受けられる歩みを見ていきましょう。

1)イエス様のために苦しみ(迫害)にあう
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。  マタイ 5:11,12

2)イエス様のための行為(善行、施し、祈り、断食)
あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 マタイ 6: 4

3)イエス様に仕える。(兄弟姉妹、預言者、義人、弟子、子供、敵)
預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。    マタイ 10:41

イエス様を救い主と信じて仕える者は、報いとして御国を相続することができます。もちろん、行いではなく行いの伴った信仰です。

何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。コロサイ 3:23,24

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。ヘブル11:6

「神様はご自身を求める者には必ず報いて下さる」と信じていきましょう。主にある労苦はむだではありません(Ⅰコリント15:58)。将来に解放と休息が待っています(黙示録14:12,13)。

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