主イエス様は公生涯に入られて福音宣教を開始された時、どのような人々を招き、受け入れたのでしょうか。聖書をひもとくと更にイエス様のすばらしさに触れることができます。それは、単に伝道のために人々を受け入れたのではなく、イエス様の生き方そのものが人々のためのものでした。
1)罪人
イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」 マルコ 2:17
2)幼子
イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 ルカ18:15,16
3)神様のみこころを行う人々
天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」 マタイ 12:50
イエス様はすべての人(取税人、サマリヤの女、病人、悪霊に憑かれた者、パリサイ人、異邦人)を招いておられます。本来、私たち人間がすべての人を互いに受け入れなければならなかったのに、罪ゆえに偏見と差別をもうけてしい、ある人々を軽んじて拒否するようになってしまいました。
私たちは、善良な人、やさしい人、健康な人、まじめな人、求道心のある人、大人の人ならば受け入れやすいでしょう。しかし、イエス様を模範としてすべての人を受け入れましょう。
また、いつまでたってもパッとしない、どうしようもない私たち、疲れ果て、弱り果てている私たちをイエス様は喜んで受け入れて下さいます。感謝してイエス様のもとに行きましょう。 (マタイ11:28)
あなたがたが年をとっても、・・・なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。 イザヤ 46: 4
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。 詩篇 23: 6