人は栄光に輝くすばらしい人生、自分が納得し満足する人生、人々が賞賛してくれる人生を送りたいと望みます。それが叶えられれば成功の人生であり、叶えられなければ失敗の人生だと結論づけてしまいます。聖書に登場する3人を見てみましょう。
1)イエス・キリスト
三時ごろ、イエスは大声で、・・・と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。 マタイ 27:46(イザヤ 53: 3)
イエス様は12歳から30歳になるまで、どのような人生を歩まれたかわかっていません。公生涯に入られてからは、たくさんの弟子たちや支持者を得て、彼の人生は成功したかのように見えました。しかし、死の間際では、最も親しい弟子たちを始め、ほとんどの人から見捨てられてしまいました。復活ですべては変えられましたが、歩まれた人生は成功したとは言えません。
2)パウロ
ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。 ピリピ 4:15(Ⅱコリント11:23~29、12:15,16)
パウロは、偉大な使徒であり伝道者でした。しかし、彼もまた、兄弟姉妹のために多くを費やしましたが理解してくれた人は少数であり、成功した人生とは言えないかもしれません。
3)エレミヤ
私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。 エレミヤ 20:14
エレミヤは、偉大な預言者として主の大きな働きをしたと思いますが、彼のメッセージに従って悔い改め、さばきから救われた者はほとんどいませんでした。彼は同胞から疎まれ、自分で自分の人生を呪ったほどでした。
成功の人生とはどういうものでしょうか。
それは、自分で輝かしいと思えなくても、自分の望みどおりでなくても、人々の賞賛がなくても、神様から与えられた召しにどんなことがあっても従い通した人生です。
私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。 Ⅱテモテ 4: 7