「与えられた1日」(礼拝メッセージ2016/04/17

私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。  詩篇 118:21~24

あなたは、「今日の1日」を神様が与えてくださった「恵み・救い・楽しみの1日」と捉えて喜んで過ごしているでしょうか。その健全な思いを邪魔する肉の思いがあります。

1)「過去の方が良かった」という偽り(肉の思い)
「どうして、昔のほうが今より良かったのか。」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。 伝道者 7:10

出エジプトのイスラエルの民の例 (民数記 11: 4~6)

2)取り越し苦労(思い煩いという不信仰)
【杞憂】きゆう〔周代,杞の国の人が,天が落ちて来はしまいかと心配したという「列子天瑞」の故事による〕 あれこれと無用な心配をすること。

ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。Ⅱコリント 4:16

3)劣等感と優越感
しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。Ⅰコリント4:3

みことばは、あなたが肉の思いから解放されて信仰によって歩むように勧めています。神様にすべてを委ねて最善を尽くしたならば、「神様がすべてをご存じであり、すべては御手にあります。私はそれで十分です。」と言えるでしょう。

1)良い信仰による励まし合い(ヘブル 3:12~14)

2)みことばに対する信仰 (Ⅱコリント 6: 1,2)

3)豊かに与えてくださる神様に日々感謝
この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。 Ⅰテモテ 6:17

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