「主のしもべとはしため」(礼拝メッセージ2016/05/22)

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し〈神のみ旨を告げ〉、青年は〈神が与える〉幻を見、老人は〈神の示しによる〉夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する〈神のみ旨を告げること、特に神の国に関する未来のできごとをあらかじめ告げること〉。  使徒 2:17,18〈 〉内は詳訳聖書

神様は救い主イエス様を信じるすべての者に、聖霊様を与えて下さいました。特に、ペンテコステの時には、旧約聖書ヨエル書2:28~32で預言されたことが成就し、聖霊様とエクレシア(希語:兄弟姉妹の集まり、定められた資格を持つ者が呼び出され、集められた集会、教会)の時代が始まりました。
聖霊様は神性と人格を持っておられ、私たちにとって、助け主(ヨハネ14:16,15:26)、イエス様を証しされる方(ヨハネ14:26,15:26,16:14)、罪・義・さばきを示す方(ヨハネ16:8)、真理に導く方(ヨハネ16:13)、力と召命を与える方(使徒1:8)です。
私たちクリスチャンは、イエス様の十字架によってせっかく罪から救われたのに、再び罪の支配下で肉に属するみじめな敗北のクリスチャン生活(自己中心)を送る必要はありません。 聖霊様が来て下さり、私たちを助けて下さるからです。もう一度聖霊様に満たされるための3つの心構えを見ましょう。

1)主に喜ばれる人生を送りたいと願っているか。
2)自分の生涯をすべてイエス様にささげる用意があるか。
3)罪を告白し、悔い改めてそれから離れる用意があるか。

テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。 ピリピ 2:20,21

主は、ご自身のしもべ(僕、下部、下男、召使い)とはしため(端女、婢女、下女、召使いの女)に霊を注いで下さいます。そうです。へりくだっている者、主イエス様の言いなりになっている者が祝福をいただきます。しもべやはしためは、自分の権利などありません。ただご主人の思いのままに行動し、生きています。イエス様を主とする私たちにとってそれが最善です。

それとも、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。」という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。     ヤコブ 4: 5

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