「聖霊様に満たされる」(ペンテコステ)(2016/05/15)

ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。   Ⅰコリント 2:12

神様は私たちの考えをはるかに超えたお方です。私たちひとりひとりに命を与え、必要なものをすべて備えて下さっています。救い主イエス様による救いを与え、その後、クリスチャンとして生きていくために聖霊様を与えて下さいました。
聖霊様は、神様の特性〔永遠(ヘブル9:14)・遍在(詩139:7)・全知(Ⅰコリント2:10,11)・全能(ルカ1:37)〕を持ち、人格的なお方〔知性(Ⅰコリント2:11)・意思(Ⅰコリント12:11)・感情(ローマ15:30)〕です。私たちを新生させ(テトス3:5)、私たちに内住し(Ⅰコリント3:16)、私たちを満たして(エペソ5:18)下さいます。また、不思議なことをなさる方です(使徒8:39)。
私たちは、聖霊様に完全に満たされたらどんなに良いだろうかと考えます。でも、聖霊様に満たされるとは、恍惚状態になったり、フワフワと宙に浮いた生活をしたり、ロボットのように自動的に生かされることではありません。聖霊様に支配されるとは、イエス様によって心の思いが支配され、みことば・弟子たちの教えに支配されることです。その人は、御霊の実を結び(ガラテヤ5:22,23)、イエス様の使命(ルカ19:10)に生きるようになります。
それとは反対の、肉に属するみじめな敗北のクリスチャン生活(自己中心、自分の思いのままの生活、みことばや弟子たちの教えを行わない聖書を軽んじる生活、イエス様や兄弟姉妹との交わりを避ける生活、自分の能力に頼る生き方)は放棄しましょう。聖霊様に満たされるためには3つの心構えが必要です。

1)主に喜ばれる人生を送りたいと願っているか。
2)自分の生涯をすべてイエス様にささげる用意があるか。
3)罪を告白し、悔い改めてそれから離れる用意があるか。

私たちが「聖霊様に満たされる」ことは、主のみこころであり、命令です。みことばに対する信仰を持って祈りつつ進み続けていくならば、主のみことばは私たちの上に成就します。

また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。 エペソ 5:18

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。    Ⅰヨハネ 5:14

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